きたのほうから。
北海道へのIターン日記。
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昨日はおつかれさまでした!
うぅう、きもちわるい。
それはいいんですがww
盛大な会を開いていただき、ありがとうございました。
花束寄せ書きプレゼントも嬉しかったです!
しかしイチゴ栽培セットは、
庭いじり好きなばーちゃんに持ってかれましたww
はるちゃんごめん。
さて、最後くらいさっぱりと終わらせてみたかったんで、
籠太で全然しゃべんなかったんですけど、
せっかく、もう、最後なので、
なんか思っていたことを残しておきます。
脈略ないと思うけど。
んーと、何も考えずに
ただ泳いでたように見えた可能性大なわたくしの水泳部生活ですが、
一つだけ軸があって。
それは、いつかのスタート会で、
OBさんから
「初心者が胸張って4年間過ごせる部を作れ」
と言われたこと。
だったら、初心者としてどう過ごせばいいんだろう。
ってけっこう思ってました。
ちょっと長い思い出話をします。
2年の関カレ前からのこと。
最初のころは、関カレなんてどうせ無理だろうな、と思ってたの。
遠い遠い世界、みたいな。
だけど2年の夏の時、
たまたま、半フリを1枠だけ空けていただけてたのね。
候補は、S本かわたくし。
ちなみに当時の2人の関係はサイアク。笑
持ちタイムは1秒くらいS本が速くて、
スイムオフしても、結局それが結果になった。
水泳部4年間で、
あのときだけは悔しくて泣いたっていうねww
そんなわけで、その年は、S本が関カレに出た。
女子に関しても、半フリ枠含めてみんな出られて、
同期で出られなかったの、自分だけだったのね。
関カレなんて諦めてたはずなのに、
もうなんか、どうしたらいいのかわかんなかったの。
出たいな、でも出らんないのかな、
どうしたらいいのかなって。
そこからの転機が、その年の三商@神戸。
4フリ出たんだけど、
案外タイムがよかったんだ。
春季マイナス30秒、とか。長水と短水の違いはあったけど。
OBさんにもほめていただけて。
その後、東京に帰ってきてから、
あわてて関カレの標準を全部調べ直して、
見つけたのが8フリでした。
長く泳ぐの嫌いじゃなかったからいいやと思って、
もうそこからはすがる気持ちで、
がむしゃらに泳いで、
その年のウインターで標準が切れたのね。
そのとき部員の方々は、先輩も同期も後輩もなく、
みんな喜んでくれた。
そして、「入った時あんなに遅かったのに・・・」っていう
びっくりされ方はあったけど(それはそうでしょうww)、
自分が思ってるほど
「アイツにこのタイムはまだムリだろう」って
思われてなかったんだ。
特に、練習とかでわたくしの実力知ってる方は。
ここまで半年間の話。
要約すると、
関カレなんて無理でしょ、と思ってたのが、
気持ちを切り替えて、適性を見つけるだけで、
半年で関カレ切れたよ、ってこと。
でもそれは、そこまで奇跡的なことじゃないんだよ、ってこと。
ほんとに、見えないだけで、
関カレはみんなが手の届くところにあります。
だから、「初心者だから」って言い訳しないでほしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やっと最初の話に戻ります。
初心者だって、
速くなりたいと願えば、速くなれる。
一橋水泳部はそんな場所です。
その代わり、初心者の人は、
精いっぱい4年間を過ごしてほしい。
(もちろん、その「精いっぱい」を
具体的にどんな行動にするかは、個々のやり方だけどね)
そして、自分の限界を決めちゃわないでほしい。
それが、
初心者が胸を張って過ごすために、
初心者が唯一やらなくちゃいけないことだと思います。
そうすれば、周りの人たちは、
自分の力を出し惜しみせず、
一緒に戦ってくれるよ。
泣くのも笑うのも、一緒になってくれるよ。絶対に。
それが、4年間過ごしてきたわたくしの結論です。
合ってるのかな?
そもそも自分が、そういう生活をちゃんとできてたかな?
んー自信持てないけど。
絶対にキャラじゃないのわかってるけど、
飛んでしまったら、
もう「思い」を伝える機会がほとんどなくなってしまうので、
まじめ風なことをつれづれと書いてみました。
どう感じるかはみなさまにおまかせします。
うぅう、きもちわるい。
それはいいんですがww
盛大な会を開いていただき、ありがとうございました。
花束寄せ書きプレゼントも嬉しかったです!
しかしイチゴ栽培セットは、
庭いじり好きなばーちゃんに持ってかれましたww
はるちゃんごめん。
さて、最後くらいさっぱりと終わらせてみたかったんで、
籠太で全然しゃべんなかったんですけど、
せっかく、もう、最後なので、
なんか思っていたことを残しておきます。
脈略ないと思うけど。
んーと、何も考えずに
ただ泳いでたように見えた可能性大なわたくしの水泳部生活ですが、
一つだけ軸があって。
それは、いつかのスタート会で、
OBさんから
「初心者が胸張って4年間過ごせる部を作れ」
と言われたこと。
だったら、初心者としてどう過ごせばいいんだろう。
ってけっこう思ってました。
ちょっと長い思い出話をします。
2年の関カレ前からのこと。
最初のころは、関カレなんてどうせ無理だろうな、と思ってたの。
遠い遠い世界、みたいな。
だけど2年の夏の時、
たまたま、半フリを1枠だけ空けていただけてたのね。
候補は、S本かわたくし。
ちなみに当時の2人の関係はサイアク。笑
持ちタイムは1秒くらいS本が速くて、
スイムオフしても、結局それが結果になった。
水泳部4年間で、
あのときだけは悔しくて泣いたっていうねww
そんなわけで、その年は、S本が関カレに出た。
女子に関しても、半フリ枠含めてみんな出られて、
同期で出られなかったの、自分だけだったのね。
関カレなんて諦めてたはずなのに、
もうなんか、どうしたらいいのかわかんなかったの。
出たいな、でも出らんないのかな、
どうしたらいいのかなって。
そこからの転機が、その年の三商@神戸。
4フリ出たんだけど、
案外タイムがよかったんだ。
春季マイナス30秒、とか。長水と短水の違いはあったけど。
OBさんにもほめていただけて。
その後、東京に帰ってきてから、
あわてて関カレの標準を全部調べ直して、
見つけたのが8フリでした。
長く泳ぐの嫌いじゃなかったからいいやと思って、
もうそこからはすがる気持ちで、
がむしゃらに泳いで、
その年のウインターで標準が切れたのね。
そのとき部員の方々は、先輩も同期も後輩もなく、
みんな喜んでくれた。
そして、「入った時あんなに遅かったのに・・・」っていう
びっくりされ方はあったけど(それはそうでしょうww)、
自分が思ってるほど
「アイツにこのタイムはまだムリだろう」って
思われてなかったんだ。
特に、練習とかでわたくしの実力知ってる方は。
ここまで半年間の話。
要約すると、
関カレなんて無理でしょ、と思ってたのが、
気持ちを切り替えて、適性を見つけるだけで、
半年で関カレ切れたよ、ってこと。
でもそれは、そこまで奇跡的なことじゃないんだよ、ってこと。
ほんとに、見えないだけで、
関カレはみんなが手の届くところにあります。
だから、「初心者だから」って言い訳しないでほしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やっと最初の話に戻ります。
初心者だって、
速くなりたいと願えば、速くなれる。
一橋水泳部はそんな場所です。
その代わり、初心者の人は、
精いっぱい4年間を過ごしてほしい。
(もちろん、その「精いっぱい」を
具体的にどんな行動にするかは、個々のやり方だけどね)
そして、自分の限界を決めちゃわないでほしい。
それが、
初心者が胸を張って過ごすために、
初心者が唯一やらなくちゃいけないことだと思います。
そうすれば、周りの人たちは、
自分の力を出し惜しみせず、
一緒に戦ってくれるよ。
泣くのも笑うのも、一緒になってくれるよ。絶対に。
それが、4年間過ごしてきたわたくしの結論です。
合ってるのかな?
そもそも自分が、そういう生活をちゃんとできてたかな?
んー自信持てないけど。
絶対にキャラじゃないのわかってるけど、
飛んでしまったら、
もう「思い」を伝える機会がほとんどなくなってしまうので、
まじめ風なことをつれづれと書いてみました。
どう感じるかはみなさまにおまかせします。
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